恋するように生きる、LIFE SHIFT

自分だけの人生を豊かに紡ぐコミュニケーション術

自分の言いたいことが喉の先から出ない!

今日、久しぶりに自覚しました。

私は、「本当に思っていることは、

言っちゃいけない」と思っていると。

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小さい時から言いたいことが言えなかった

すぐに思い出しました。

父親にかなり抑圧されていたことを。

 

私はあんたの奴隷じゃない!

 

ずっとずっと、

心の中で叫んでいたけど、

口から出して言えることなんて無かった。

 

ずっとずっと、

その怒りを自分の中に溜め込んでいて、

 

本当の本当に言いたいことは、

口に出してはいけない、

ということになっていました。

 

 

まとめてきたことがうまく伝えられない

今日は、

予め自分がまとめてきたつもりのものも、

相手にうまく伝えられませんでした。

 

理解してもらえないかも知れないことが

こわくて、

喉から先に声が出ません。

 

久しぶりにこの感覚を味わいました。

 

いつもそうなのかというと、

そんなことはありません。

 

でも、

人から変だなって、

思われそうなことは、

とても言いにくいんです。

 

まぁ、当たり前かも知れないけれど。

 

 

NLPって洗脳なの?

「それって、洗脳するやつでしょ?」

って言われて、反射的に

「違うもん!そうじゃないもん!」

と思いました。

 

それは「洗脳」という言葉には、

あまり良くない意味があると

とっさに解釈したからだし、

 

「洗脳」するやつは好きじゃないと

その方が以前言っていたことを

記憶していたからでした。

 

数秒の間を置いてから、

脳内でどのように再表現するかを

意図的に変えることをするのだから、

 

「洗脳」と表現されるものに

あたるのかも知れないと、答え直しました。

 

 

本人が明確な意図を持って行うなら良いのでは?

私の先生のマイケル・ボルダックもよくこう言います。

「佳き人のもと、このテクニックを使うんだ。」と。

 

「洗脳」にあたるのだとしたら、

この「洗脳」はダメなことなのか?

 

そういう問いが私の中に立ちました。

 

というか、

そもそも、起きた現象に対して、

正しく認知している人の方が少ないので、

 

普段から人は皆、

自分が気付いていないうちに

社会的に洗脳された価値観で

行動しているかも知れないし、

 

やたらとポジティブだったり、

やたらとネガティブだったり、

自分自身を洗脳している可能性だってありますよね。

 

だとしたら、

現在、自分がどのような思考回路を

持っているのかを理解した上で、

 

その回路を意図的に組み直すことは、

いわゆる「洗脳する」というイメージとは、

ちょっと違うよなぁと思いました。

  

 

「洗脳」という言葉の意味を調べてみた。

洗脳(せんのう)とは - コトバンク

中でも、この説明はとても分かりやすいと思いました。

個人の思想や価値観を、物理的、

社会的圧力を加えるなどの操作によって

必ずしも本人の欲しない方向へ

急速かつ大幅に改変させること。

 

前章でも書いたように、

「本人の欲しない方向へ」誘導するのは、

おかしな話ですが、

 

私がやろうとしていることは、

本人に明確な意図があって、

NLPのテクニックを活用するだけなので、

 

ここで調べた「洗脳」という言葉の意味からすると、

私がやりたいことは「洗脳ではない」と、

今なら言えるなぁと思います。

 

 

理解してもらえないのがこわいのはなぜ?

「拒絶」がこわいというのは、

コーチングセッションでもよく取り扱われる

テーマの1つです。

 

相手との間の「愛・つながり」が壊れるのが

こわいのです。

 

前の記事で書いた 6 Human Needsのうち、

「愛・つながり」というニーズを満たすために、

自分が思っていることとは違うのに、

相手に同調してしまうということが起きます。

 

でも、

自分が考えていること全てが

相手に理解してもらえるなんてことは、

あり得ません。

 

もし仮に「成長」というニーズを

ここで持ってきたとしたら、

どうなるだろう。

 

自分が考えていること、

学んできたこと、

やってみたいと思っていることを、

 

それを知らない人に

理解してもらおうとすることが、

自分にとって「成長」となるならば、

 

理解してもらえないかも知れない

という恐怖を感じることなく、

 

理解していないという前提で、

理解できるように話してみることが

喉元で言葉が痞えるような感覚を感じることなく、

出来るかもしれないなぁと思いました。

 

もし、次にそのチャンスがあったら、

意識してみようと思います。